Memorial Special Stage ロゴ ■ モーターサイクル市場の変遷  ■ 

    ものの本によると、明治36年(1903年)石川商会と言う会社がアメリカからミッチェル号と言うオートバイを輸入したとの記録が有って、これが我が国での輸入自動二輪車・第一号車だとされている。

さて、この【 アメリカのミッチェル号 】とは?、筆者は未だ製作会社名が明確につかめていない。  マサチューセッチュ州にあった自転車会社・ウオルサム製造会社によってオリエント号の製造に続いてミッチェル号が生産された様でもあるが、資料が乏しく定かではない。 参照・確認資料等についてご存知の方がおられたら是非ともアドバイス頂きたい。

    世界で最初のオートバイが誕生したのはこれより約20年前の1884年, Gottlieb Daimler と Wilhelm Maybach 二人の手によってエンジン付二輪車が製造された。 フレーム、車輪など主要部分は木製で、ベルト・ドライブ駆動となっていた。 この歴史的作品は 1983 年に開催されたBMW社60周年記念行事で国内展示された事が有る。 初めての現物を目の前にしての感動と同時に「想像に反した小さい作品だ」と驚いた事を思い出す。

    これより更に10年経過後の1894年、 Heinlich Heldebrand とAlois Wolfmüller 達の手によって生産開始された商業的量産二輪車が初めて巷で  ”Motorcycle” と呼ばれる”品物”となる。  異様な表現になってしまったが、「鶏と卵の話」にも似て、世に存在しない物には呼称が無かっただけの話、筆者愛用の英和辞典には時代の関係でUFOなる単語が収録されていないのと同じ事でしかない。

この時代フランスでは 「 MOTOCYCLETTE 」と言う名前の商品二輪車が誕生し、その宣伝用ポスターには、注釈として「燃料が必要な Bicyclette」 と追加説明がなされていた。

    アメリカでは Harley Davidson、 1903年に受注生産を開始している。  創業者達 William A. Davidson、 Walter Davidson Sr. 、それに  Auther Davidson と William S. Harley が力を合わせてのスタートだった。 冒頭で述べた通り、ミッチェル号が輸入された年にハーレーは事業を開始した事になる。  

更に偶然だろうが、この記念すべき年1903年、これはライト兄弟が飛行機を発明した年として忘れてはならない年でもある。

人類は、地上をより早く、より遠くへ、そしてより高く空中へ舞い上がる希望が持てる時代へと突入したのだ。

この重大な歴史の転換時期、これらは今から約100年前の話でしかない。

     モーターサイクル誕生以来今日まで、人類は2回の世界大戦を経験し、歴史的非常事態・世界経済恐慌をも乗り越えてきている。 世は正にバブル経済崩壊後新たな世界経済再編成が行われている真っ只中にある。  過去を振り返れば地球単位の経済環境修正活動で不用の肥満部分はスリムになってくる、消費形態から物の価値観まで見直され、 ある種の自然治癒力も働いて、いずれ経済そのものは復興するものだ。

    馬の時代から多数の開発者が参加したエンジン付自転車による製品テストが繰返された時代を経て、世界のモーターサイクル産業は急速な発展を遂げる事になる、  同時にエンジンの発達はT型フォードの誕生等、新しく四輪自動車産業の発展をも促す結果となった。
 
最大乗員数・積載総量上限等の問題で、モーターサイクルは日常生活上で主要トランスポーターとしての地位を四輪車に明け渡さねばならなくなってくる。 サイドカーも確かに一時期新しいマーケットを確保したが、これも急進する自動車産業の背後へとその存在が霞んでいく運命にあった。

---- マスコミに煽られて来た時代もあった・・・
覚えてますか? ご存知でしょうか? TVコマーシャル

「隣りの芝生が青く見えマース!・・・」
「隣りの車がデッカク見えマース!」


    芝生など無い我が家でも、確かに「隣りの車」は気になる存在だった。 この様な流れの中でモーターサイクルに対する需要は、 四輪車業界の努力によって実現する低価格設定によって更なる追い討ちを掛けられたかのように淘汰されて行った。 

大戦後、経済的に目覚しい復興と発展を遂げたのは西ドイツだけではない、 我が国も国民の手が届く価格帯迄、言い換えれば、かっての敗戦国民も「望めば買える様な乗用車」が生産されたのだ。  所有によるステータス性は言うまでもなく二輪車の比ではない。

それでも高額の四輪車がなぜ売れたのか?  「国内での需要を喚起する」 この試練で国内四輪車業界が得たノーハウは四輪車業界の国際市場での活動を支える力となってゆき、 日本製四輪車の輸出が盛んになる時代へと進んでゆくが、  二輪車の需要は確実に落ちていった。

終戦直後は今日現存する4大二輪車メーカー以外、数多くのメーカーが活動していた。 しかしこの時期を境に我が国ではメーカーの存続危機に見舞われ、次々と二輪車業界では「往年の銘車達」がその姿を消していく事になる。     

戦後の辛い時期から、国民総力を挙げての商工業活動の発展を支えた”足”は国内では戦後開発されたエンジン付き自転車に始まり後に自動二輪車がメインとなって、経済活動の母体は支えられてきたと言っても過言ではないだろう。

    筆者とて全く例外ではない。 二輪車で走りに走り回った時代で、それは振動による胃下垂防止の為として、  幅広のウエスト・ベルトをしめての毎日だった。  最近は見かけませんねー こんなスタイル・・・、  確かに「一億総胃下垂」に関心を持った時代だろう。

近年、 体調宜しきとお見受けする面々、ビール腹等突き出して大型二輪車を操縦されおられるが、 乗車目的が根本的に変わってしまった。  従ってあの胃下垂も忘却の彼方へと去ってしまった様だ。 当時はそんな体格の良い太った人等はオートバイ乗り仲間では見かけません、 体調崩しても、 歯を食いしばって毎日跨らなければならなかった・・、 従ってその殆どが太れず痩せていたとしても不思議ではない筈。

ヘルメットを買う資金調達に苦労したのもこの時期の懐かしい想い出、 着用が義務つけられる以前は自己顕示欲者達格好の「アピール・ポイント」でした。  

    さて「隣りの車」以上の乗用車を追い求めるようになってしまったのは、何も我が国に限った話しではない。  家族一同揃って移動できる、雨にもぬれない、寒くも無い、 家族全体の希望として最早二輪車を購入する希望など出てくるはずが無かった。   この時期を境に世界的に二輪車が売れなくなってしまう時代へと進んでしまう。   

    注目すべきは、 これに反して我が国四大二輪車メーカーは国内需要状況等全く気にする事無く国際市場でシェアーを伸ばしつづけた事だ。

海外アナリストの意見はこうだ。
第一に日本の車輌は価格が安い、 目先にも飽きの来ないサイクルでマイナー・チェンジとモデルチェンジを行ってきた、 その存在を忘れられないように、興味を失われないようにアピールを繰返してしてきた事になる。

価格も手が届く範囲、 目先もどんどん変化すると言う事は、 ある種の見栄を張るための頑張りを持って購入した乗用車に対する出資の痛手もつい忘れてしまう。  所有願望をくすぐるに十分な二輪車だったと言う事になる。

これらの背景を強力に支えたのが、国際二輪車レース活動である、 好成績を上げれば市場は自然に追随してくる、 日本の二輪車は売れて当然、 世界的拡販に必須の環境設定を行った結果の話しである。  全てが計算ずくではなかっただろうが、結果としてやる事なすことが良い方に出てしまう「ツキ」に恵まれた時代でもあった。

    かっての海外二輪車市場は、この波に完全に飲み込まれてしまったと言っても過言では無い。  当時の共産圏・東ドイツではMZが生産されていたが、 西ドイツでは唯一BMW社だけが二輪車の生産を継続する事になる、その他のメーカーは日本国内同様、操業中止を余儀なくされてしまったのだ。。

   100年前からのモーターサイクル誕生など知る由も無く育った世代、 知りながらも世情に振り回された人達、 これにモーターサイクルは戦後誕生した新しい乗り物だと全く誤解している人達が加わる。 

日本国民全体の話しとして、いずれの家庭も確実に経済情勢は安定・向上していった。  かっての意識調査結果では国民の半数以上が「中流以上」と自己の生活環境をランク付けしているとの調査結果も発表された。  

一度は売れなくなった二輪車に対する新しい需要が芽生えてくるのもこの時期からだ。

    趣味は? と聞かれたら、 声高だかに「ドライブ」 と答えた人達が多かった時代の話。  「隣りの車以上の車」で楽しむドライブ、せいぜい行楽地廻りだったろう。 最近の様に細分化された趣味の世界、 例えばRV車で自然を楽しむ、あるいはレーサーでサーキットを走る事など未だ望めない時代の話しである。

人々は更に裕福になり、やがて複数の車輌を所有する家庭も出て来る。更にキャンピング・カー等目的別の特殊車輌も行き渡ってくると、ニーズは大きく転換する。

    例え濡れる事はあっても「風を切って走る楽しみ」がある二輪車の所有を望む声も生まれて来る。

この時代、人々はもう一度二輪車に乗りたいと思うようになって来た。 正しくは、二輪車に仕事以外の「楽しみで乗りたい」 と言う事だ。  人並みの乗用車を所有し、業務上では事業用車輌を配備して、スクーターより身軽で取り回しの効くスーパー・カブも数台並んでいた。

    いつの日からか?、そのス−パー・カブすら目の前から一台も無くなってしまった。

    どうせなら、 夢の車・・昔乗りたくても、高価で手が届かなかった「あの車に乗りたい」そんな希望に満ちてくる。 最新モデルも決して悪くはない、しかし結果としてどうしても個々の思い入れの方が優先してしまう・・・、クラシック・マニアの誕生、そしてクラシック・モーターサイクル・マーケットが形成されてくる。 

「夢の車」、所有する事が当時の夢だった車輌とは? 全てが過去の遺産であって、かってのメーカーは既に存在しない、 希望したとて車輌の存在情報を掴む事すら容易ではない。

容姿端麗、慎み深くて頭脳明晰、何がなんでも手に入れたくなる「夢の車」だが、経年変化もあって当時の「生産された姿」そのままを保ったオリジナル性高い車は見付からない。  最終最後まで見付けだす努力をした人、 コンデイション・外観に対する希望については、 途中で妥協してとにかくそれに近い車輌を手に入れた人、 思い切りがつかず途中で諦めてしまった人、それぞれのクラシック・モーターサイクル・コレクシンが始る事になる。

    嗅覚の鋭い人、要領の良い人、商売の上手な人、人を騙して何とも思わない人、いずれの世界もいろんな人がいるもんだ。

    見た事も無い車に魅せられてこの世界に入って来た、比較的若い年齢層、新鮮味があってカッコイイ車だという。  買う方の不勉強と言うか、知らない事を良い事にすっかり騙されてしまった人もいる。

    古いんだから錆びてて当たり前・・、こんな風潮まで根付いてしまった一時期も有った。 とどまるところを知らず、錆びてるバイクの方が高く売れた時代があった事も事実だ。  バブル崩壊でこの市場も一変した、 我も我もと集まってきた連中が一気に散った感じも有る、良い意味ではカンフル剤が効いたようで、 元々からのマニアのみ残っているのが今日だろう。 

このバブル崩壊後、既に海外市場では再び活況付いて来ている、 オリジナル性が一番のチェックポイントとなっているが、 やっとモーターサイクル・コレクシンの世界でもその神髄が確認されて来た様だ。
   
    四輪市場でのスーパーカー ・ ブーム同様、 やがて二輪車の世界でも海外製大排気量車が脚光を浴びてくる。 1970年代中期から始る輸入規制緩和を順風にいただき、大型車輌は輸入台数をどんどん延ばしていく。

ほんの一掴みのマニアしか手にする事が出来なかったこれらの車輌も、「一台買うのに家一軒分」といわれた時代を通り越し、当たり前か月賦で買える時代となっている。

    思い起こせば、この流れの中での信じられない出来事に遭遇する場面も有った。 その昔有った筈の「側車付二輪車」に該当する車種が存在しないのだ。  完全に抹消されたように見えたし、 新しく車検を申請し許可を得る迄には非常なる苦労があった時代もある。  既にそのような乗り物が巷を走り回る事も無かろうと、抹消措置が取られていた訳だが、 この時点で、免許関係も自動二輪車を持てば「側車付自動二輪車」が運転できるようになっていた。 昔は自動二輪車以外に側車付自動二輪車・免許を別に取得する必要があったのだが・・・。

    このように免許制度も紆余曲折の後今日を迎えている。 最たるものは、普通自動車免許を取れば、自動二輪車免許が付いてきた、信じられない「そんな時代」が確かにあった。  相当数がこの御恵を受けたのは事実だ。  しかし、このお蔭でその後輸入大型車輌市場が活況付いたと言ってもあながち間違いでもないだろう。  あれ!、この免許で運転できるノダ・・・ともなれば、後は財布の問題だけだ。 限定解除に苦労された方々にはお話しすべき事ではなかったかもしれない。 

更に最近では、筐体の無いトライクが、自動三輪車ならば、 普通自動車免許で運転できる、 おまけにヘルメットの着用不要として宣伝・販売された歴史もある、ニーズは間違いなくあった筈だが・・・。

歴史の線上に点状で整列するクラシック・バイクとは反対に、スーパー・バイクはどんどん変化・進化を遂げている。 モーターサイクル誕生から百有余年を経過した今日、 目的は完全にホビーの世界を形成し、新しい何かを提案しようとしている。

さて、今後のモーターサイクル・マーケットはどのように展開して行くのだろうか?


櫻 井 二 六
2000/07  


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